川上洋

川上洋の詩には美しいものが多い。

日本語の美しさを表現することをライフワークとし、全国各地の方言採集にも力を注いだ人だ。また1982年からは読売新聞紙上で「こどもの詩」の選者を務め、寄せられた詩にユーモラスであたたかな選評を加え人気を博した様だ。。主なラジオ脚本に「魚と走る時」「ジャンボ・アフリカ」「人力飛行機から蚊帳の中まで」などがある。
作曲された詩は数多い。歌の作詞経験も豊富で、NHK全国学校音楽コンクールでは4回作詞を担当した(「きみは鳥・きみは花」「家族」「海の不思議」「風になりたい」)。

伝統を継承しているのがよく分かる。

逆手にとって

都市伝説として有名だが、イメージの裏をかいた話。

某大学に、これ以上ないほどに楽な試験問題を出す講義があった。またその教授は、ここ20年まったく同じ問題を出題していた。出席も取らないために、ほとんどの生徒は授業に出ず、出席した生徒も寝るなどしていた。

そして、教授が退官する年のこと。ある学生がこう言った。「後輩たちはかわいそうだね、来年からあの教授の試験じゃないんだもんね。」「私たちはもう先輩から試験問題手に入れちゃったしね。」学生たちは、先輩たちからもらった試験用紙をもらっており、それを丸写しすればよかった。

しかし試験当日、学生たちは凍りついた。教授はその年に限って試験問題を変えており、試験を受けた全員が単位を落とした、という話。

定年のタイミングまで待って、これまで長年蓄積された常識を覆したのか。

これに似た話で、ジャンケンで誰が相手でも常にグーを出しておいて、周りにあいつはグーしか出さない、と認知させておいて、いざ大事なジャンケンの時にチョキを出す、というのは必勝法だ。

それでも難しい

スティーブンシティについて調べてみたが、結構難しい。

1730年代にピーター・スティーブンスが設立し、1758年10月に町として認証され、設立者ルイス・スティーブンスから町名が付けられた。当初はドイツのハイデルベルクからのプロテスタント移民が入植した。シェナンドー渓谷では約5マイル ほど 北にあるウィンチェスターに次いで2番目に古い町なのだそうだ。

南北戦争前の1850年代、この渓谷では初の自由黒人町となる「クロスローズ」が町の東に設立された。クロスローズは南北戦争の開始時点まで残っていたが、自由黒人は逃亡するか、再度捕まえられた。1864年、北軍のジョセフ・K・スターンズ少佐が行った意図的焼き討ちから、スティーブンズシティは救われた。町の名は何度か変えられた。始めはスティーブンズバーグ、続いてニュータウン、最後はスティーブンズシティとなったが、パントップスと名付けられる可能性もあった。州間高速道路81号線とアメリカ国道11号線が町を抜けている。